橋爪大三郎
略歴
1948年神奈川県生まれ。東京大学大学院社会学研究科修了。現在、東京工業大学大学院教授。
詳細は橋爪大三郎研究室参照。
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書評・時評
書評「『弱者』という呪縛」 櫻田淳、小浜逸郎 共著
橋爪 大三郎
本書の焦点は何と言っても、障害をもつ人びとといかに正しくつきあうかであろう。小浜氏と対談する桜田氏自身が、気鋭の政治学者、そして重度の身体障害者だからだ。
桜田氏は言う、障害者が《権利を行使し、義務を履行するための仕組み》をきちんと具体的に作るべきである。国が必要な助力を与えるとしても、働けるだけは働き、納税そのほかの義務も果たすべきである。体験を踏まえて、ずしりと重みのある発言だ。小浜氏も《障害者のやったことだから、価値のあるものに決まっている》という裏返しのタブー意識を「乙武現象」として批判する。
障害者のほかに女性、子ども、高齢者、外国人など「弱者」とされる人びとについて議論が進む。両氏に共通するのは、自らを弱者に重ね合わせ、人権をふりかざして国家を批判しながら、その実は国家に依存する人びとを大量に生み出した、「戦後民主主義」へのいきどおりだ。
「弱者」は、国家を相対化できる特権的な存在なのか。そのはずはない。「弱者」にかこつけて国家を批判するひまに、市民の権利と義務を明らかにし、国家と市民の関係を再構築しようと、両氏は提案する。
こうして、たとえば「小人プロレス」は、障害者の自立した職業である限り、認めるべきだ。「ゆとり教育」より、基礎をみっちり習得させるほうが先決だ。男女の違いを完全になくせばよいとする「男女共同参画法」は誤りだ、などの結論が導かれる。
対談は荒削りで、論点があちこち飛び、ときに危なっかしい論法も目につく。桜田氏によれば《日頃の節制と自制とは無縁の、「放談」の書》なのだそうである。でも、そんな自由なやりとりだからこそ、行き詰まった偽善的な戦後民主主義をその先に乗り越えるヒントもみつかる。この次はぜひ、両氏がそれぞれこれらの問題とじっくり取り組む、単著を読みたいと思わせられた。
「『弱者』という呪縛」
櫻田淳、小浜逸郎 共著(対談)
PHP研究所 刊
等身大のヒロイン 社会現象としての安室奈美恵
橋爪 大三郎
いつもテレビや雑誌のグラビアで、姿をみることができる。誰もが名前を知っていて、若者たちのあこがれの的。そういう意味でなら、安室奈美恵さんは確かにアイドルだ。
けれども安室さんは、ひと昔まえ、八〇年代のいわゆる「アイドル」たちと、まるで違っているように思われる。
八〇年代のアイドルたちは、十代後半でデビュー、中高生(特に男子)の熱狂的な支持を集めた。当時のアイドル現象をひと口で言えば、「歌のなるべく下手な、可愛い女の子を見つけて、みんなで応援する」というゲームである。毎年のように数えきれないアイドル歌手が現れては、消えて行った。いまでも残っているのは、松田聖子さんら数人にすぎない。
アイドル現象は、みんなで騒ぐのが目的だから、歌のうまい大人の歌手は敬遠される。アイドルは、舌足らずでたどたどしく話し、適当に歌詞やせりふを間違え、まるで自我などないかのようにニコニコしていなくてはならなかった。可愛いが、歌も下手だし、応援するしかないなあ。男の子たちはそう思うことで、女性に対する自分の優位をひそかに確認できた。こうして、ラジオを聴いたり、シングルを買ったりできる、暇と小銭(可処分所得)のある中高生たちが、日本の音楽文化の主役に踊り出た。
そんなアイドルがつぎつぎ消費されていくなか、松田聖子さんは、男性よりも女性のファンを増やすことで、アイドルからの脱皮に成功した。彼女が仕事を続け、才能を開花させて大人の女性に成熟していく様子に、同年代の多くの女性が共感した。
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安室さんの場合、まず、歌がうまく、スタイルがよく、踊りもうまい。そして、十代の女性ファンが多い。彼女のようになりたいと、アムラーと呼ばれる女性たちまで出現した。八〇年代のアイドルのように、わざとらしい振り付けや、子供っぽい服をあてがわれて、言いなりになったりしない。沖縄から上京、グループでデビューしたもののぱっとせず、それでもがんばってきた芯の強さ(そして、それを感じさせない愛くるしさ)が、安室さんのキャラクターである。
安室さんの魅力と実力は、才能あふれるヒットメーカー・小室哲哉氏との出会いによって、いかんなく引き出された。小室氏が彼女のために作詞作曲した「CHACE THE CHANCE」は、アップテンポのダンスミュージックで、時代と感応する、駆け抜けるような焦燥感に満ちている。同時代の若い女性のリアルな心情を奔流のようなラップにのせてうたう安室さんは、ポスト・アイドル時代のヒロインである。同じく「BODY FEELS EXIT」も、シンセサイザーの打ち込みやサンプリングといったメカニックな技術と、安室さんのしなやかな身体とが調和した、小室/安室コンビの記念すべき第一作だった。一連のヒット作のコンセプトは、マイケル・ジャクソンの妹ジャネット・ジャクソンや、マドンナの系譜をひくものと言ってよかろう。
安室ソングの聴かれ方も、八〇年代と違っていると思われる。
九〇年代に、CDとカラオケ・ボックスが一般化した。安室さんのものを含め、シングルCDには必ずと言っていいほど、カラオケ・バージョンが付くようになった。新譜が発売になるや否や、中高生はお目当てのCDを買い求め、自宅でたっぷり練習してから友達とカラオケに出かけるのである。このため、ここ一、二年はミリオン・セラーが続出、ヒットチャートに異変が起きている。
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小室氏が出演するTV番組「アサヤン」には、予選を勝ち抜いた女性たちが小室氏のヒットソングを熱唱するコーナーがある。これはかつての「スター誕生」を思わせる。しかし「スター誕生」が、平凡な素人娘が天界のスターへと駆けのぼるシンデレラ物語だったのに対し、「アサヤン」では当人も観客も、そのプロセス自体を楽しむ。スターも素人も対等で、区別がないのだ。
「今夜もヒッパレ」にも、同様のことが言える。この番組は、歌手やTVタレントが、カラオケを楽しむ素人の真似をして騒ぐ、というもの。スター/それを崇拝するファン、という従来の上下関係をひっくり返した画期的な番組だ。視聴者から見れば、プロの歌手も自分たちと同じだなあ、となる。安室さんがこの番組にレギュラー出演しているのは象徴的だ。なぜなら、「安室さんは、才能があってかっこういい」×「安室さんもカラオケを楽しんでいる」→「カラオケを楽しむ自分たちも安室さんのように、才能があってかっこういい」という三段論法(?)を、人びとに信じさせる効果があるからである。
バブルの八〇年代をはしゃいだ「ギャル」たちは後続の世代を「コギャル」と見下した。だが見下された彼女たちは、「安室奈美恵」という等身大の理想像を見つけだした。そこには、男性の言うなりになるのでなく、自立して自分の足で歩いていきたいという、彼女らの思いがこめられている。それはまだあいまいな夢かもしれないが、時代がそちらに流れていくのを押し止めることはできないようだ。
掲載紙:読売新聞 夕刊
(1997/2/24)
冷戦終わり低調は必然 橋爪大三郎氏へのインタビュー
——国内で反戦平和運動は勢いがないように見えますが、ご自身、60年代末には反体制的な学生運動に参加しておられましたね。
「ええ。当時は左派の議論にある程度説得力を感じていました。しかし70年代に、日本の知識人が描く『社会主義勝利』の図柄には根拠がないと考え、離れました」
——現状をどう見ていますか。
「反戦平和は、50〜60年代には動員力を持っていました。が、それを支えた社会的背景はいまや消失している。デモが盛り上がらないのも当然です」
——社会的背景とは。
「最も重要なのは冷戦の存在です。核兵器を持つ二つの超大国が臨戦態勢にあり、日本人の中にも核ミサイルが飛来することへのリアルな恐怖感があった」
「国際的には『世界中の市民が団結すれば冷戦構造は崩れて平和になる』という共産主義の主張があり、国内には『米国に協力すると核戦争の巻き添えになるから中立を目指そう』という平和主義の主張があった。当時は、そうかもしれないと思えた。しかし冷戦の終結で、その反対だったことが明らかになった」
——冷戦の終結後、反戦運動はどのような挑戦を受けているのでしょう。
「『平和のための戦争』と言われた湾岸戦争が、国内の絶対平和主義に打撃を与えました。イラクに侵略され、クウェートは自力では主権を回復できなかった。手助けとして多国籍軍が編成されたが、日本では参加反対の議論が強かった。が、第2次世界大戦の連合軍は、日本に侵略された中国を手助けしたのです。もし連合軍の行為が正しかったと認めるなら、論理的にはクウェートを助ける多国籍軍も正しいと認めなければならない」
——「平和のための行動とは何か」についての社会的合意が作りにくい?
「ええ。今回もフセイン大統領が侵略者であることは自明であり、米国はイラクの核使用を抑止しようとしていて、イラク攻撃には『核反対の戦争』の面もある。これらのことが、結集を妨げている。北朝鮮の核問題への対応で今後、米国に頼らざるをえない事情もある。総合すれば今、米国に反対する理由は薄い」
——しかし最近の世論調査では、イラク攻撃への反対が78%に上っています。
「北朝鮮の核問題をよく考えていないから、そうなる。安全保障の方法論を考えない反戦論は、考えていないがゆえに、重大事態が起きた場合にパニックに陥りやすく、反動で非合理的な思考にブレる危険が高い」
——なぜ欧米で大規模なデモが起きたのでしょう。
「米国民には自分たちが戦争に行くという切迫した事情がある。欧州には一般に米国への距離感があり、欧州連合で米国への対抗軸になろうとしている」
——反戦平和デモという行動に可能性はない?
「絶対平和主義を国際社会に広めていくという選択肢はあるだろう。しかし今回も国際的な反戦運動との連携は成功していない。絶対平和主義の意味を徹底して問う精神的土壌が日本にあるなら、もう芽が出ていたはずだ。新しい世界情勢に対応して、安全保障と平和構築のあり方を見直すべきだろう」
「その際、デモより大事なことがある。討論だ。デモが低調でも討論が交わされているなら、その方がよい。デモが討論のきっかけになるなら賛成できる」
朝日新聞 2003/03/02 付
「三者三論 / デモ!でも?デモ・・・」から転載
この記事は朝日新聞社と橋爪大三郎氏の許諾を得て転載しています。無断で転載、送信するなど、朝日新聞社及び橋爪氏の権利を侵害する一切の行為を禁止します。
主催者雑感
書評「こんなに困った北朝鮮」
佐藤 幹夫
●『こんなに困った北朝鮮』を初めて本屋で見たとき、わたしはちょっと呆気にとられた。思わず著者名を見直し、まちがいなくそこには、「テリー伊藤」ではなく「橋爪大三郎」と書いてあるのを確かめ、しばし佇んだ。「なんで橋爪さんが北朝鮮なの?」と感じたのは、わたしだけだったろうか。
そして「東京新聞」夕刊(2000年8月31日)、「自著を語る」のコーナーに書かれた一文を読み、なるほどそうだったのか、と思った。なるほど、どころではない。この発想の自在さ、ユニークさは、一体どこからくるのだろうと、しばらくのあいだ、新聞に掲載された橋爪さんのお顔を眺めいってしまったほどであった。
わたしは社会学なる学問には「うつけ者」である。だから独断で言うが、おそらく橋爪さんはすぐれた社会学者だろうと思う。社会学者のうえに、「一流の」とつけても、文句は出ないだろうとも思う。(文句のある方は、当掲示板へ出てこられたい。わたしは対応しないが・・・)。なぜ一流だと感じるのか。
手堅い仕事を手堅い発想で積み上げる労を、わたしは決してバカにはしない。そのようにして蓄積されていく「学問」の世界とやらにも、十分に敬意を払うものである。しかしその手堅さがときにスパークし、おおっ、と思わず声のでる発想の卓抜さに出合うときがある。(白川静然り。折口、柳田なんぞは、スパークのしっぱなしであったわけだが)。お前は何様なのだ、と言われるかもしれないが、30年も書物と付き合っていれば、火花が飛び散っているかいないかくらいの区別は、つくのである。(嘘付け、と思う方は、当アカデミーの講師の方々のお名前を、もう一度確認されたい。そしてできるならば、各方々の主著と目される著作を、味読されたい)。
わたしは自分が「目利き」であると自慢したいのではない。『こんなに困った北朝鮮』の着想に、驚いた、と言いたいのである。橋爪さんは、手堅い積み上げを本領とするだけの学者では、やはりなかった、と言いたいのである。
●「自著を語る」の書き出しは、
“「なぜある日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の本を書かなければと思ったのか。直感、としか言いようがない。そして私は、平壌に飛んだ。」”
と、なっている。たぶん、これは本当だろう。著作の冒頭も、
“「とにかく、北朝鮮に行くのだ!」”
と、始められている。論理の厳密さや美しさを厳しく追い求めてきた橋爪大三郎が、「直感」と書いている。何かに突き動かされている。わたしは「直感」だけで書き散らすが、そんものとは訳がちがうのである。あのウィトゲンシュタインを徹底的に読み込んだ橋爪大三郎が、「直感」と言っているのである。これはただ事ではないだろう。
●さらに、
“「北朝鮮は、日本にとって、『ずっと連絡の取れなかった腹違いの兄弟』だと思う。」”
まったくその通りである。しかし、その通りのことを、わたしたちはすっかり忘れている。
古代3世紀、いや、5、6世紀頃まで、別々の国だなどと考えるのがバカげているほど、わが列島と半島とは、混ざり合い、溶け合っていた。人も、文物も。むろん、列島全域ではない。九州を中心として、中国地方、ひょっとしたら、畿内のいくらかでさえ、そうであったかもしれない。そのように考える方が、よほど自然である(自然である、というのはわたしの「直感」だが、この「直感」はおそらく正しい。本質直観、というやつだ・・・ちょっと違うか)。
ならば、なぜ「歴史」はそのように記さないのか。
「歴史」とは、つねにその国のアイデンティティーを確立するためになされる営みであり、そのためには「事実の捏造」さえ、ときとして平然としておこなうものである。(橋爪さんも、本のなかで金日成の捏造ぶりに触れている)。万世一系の元、いかに半島や大陸から自立した国としてあったか。古代史は、元をただせば、そこに行き着く。ときにそのことに異を唱える果敢な歴史学者が現れるが、彼はつねに異端視される。
むろん橋爪さんは、『こんなに困った北朝鮮』の中で、そうした古代史談義はしていない。しているのはわたしである。つい脱線してしまったこのわたしである。
しかし続けるが、「物部文書」「富士宮下文書」「東日流(津軽)外三郡誌」その他、古代史には偽史が存在する。なぜ偽史は偽史であるのか。実証性の名のもとに、アカデミズムからは完全にスポイルされているが、ならば「書紀」こそ偽史ではないか。そのような問いに対し、「書紀」は、「造作」はあるが偽史ではない、アカデミズムの歴史家はそのように言う。またある民俗学者兼評論家に、ほとんどトンデモ本扱いされた経験をわたしは持つ。
しかしさらに書くが、なぜ偽史は偽史であるのか。この問いは、通常考えられているほど、簡単ではない。たとえば、「もうひとつの日本の立ち上げ(=東北学)」などと言あげされているが、東北など、もう「ムラ起こし」の観光名所だらけになってしまった。東北学など、しょせん「牙」を抜かれ、博物館に飾られ、観光名所となるていどの歴史にしか過ぎない。そのようにわたしは断ずるが、それは、偽史への問いを、微塵も内在させないからにほかならない。なぜ偽史とされる「物部文書」が、東北の小さな神社に、いまだ全貌を明かされないまま守られ続けているのか。また「東日流(津軽)外三郡誌」が、たとえ風狂な一変人の所業であったとしても、そのように書かれねばならなかった東北の歴史とは何であるのか。やるんなら、「ムラ起こし」程度の歴史相手ではなく、もっと気合を入れてやってくれよ、ホント頭のイイ人のすることは・・・と、蝦夷の末裔であるわたしは、ますます脱線していく。
このままではいけない。話を戻そう。わたしは赤坂某ではなく、橋爪さんのことを書いていたのだった。
つまり、歴史への感度ということを、わたしは言いたかったのだ。さて、「腹違いの兄弟」と橋爪さんは書いている。このことに、解説はいるだろうか。いらないとは思うが、一応知ったかぶりをして書けば、父はむろん中国である。しかし北朝鮮はソ連という母から生まれ、日本はアメリカという母から生れ落ちた。生まれ落とされた、というべきか。(違いますか、橋爪さん。間違いでしたら、佐藤の知ったかぶりに一喝を)。してみると、なぜ中国が日本に「厳命」できるほど(「言明」では絶対にない)尊大なのか、わかろうと言うものだ。かの国は、日本など小心で、できの悪い放蕩息子くらいにしか考えていないのだ、きっと。それが、かの国の首脳たちの歴史意識である。彼らは、「ゴッドファザー」なのである。
●そしてさらに、橋爪さんは書く。
“「戦後の日本は、アジアに背を向け、ひたすら経済大国の道をひた走ってきた。でも日本とは、どこからどこまでをいうのか。日本国憲法には書かれていない。本州、九州、四国、北海道、ならびに周辺の島々。ポツダム宣言とカイロ宣言が、そう定めている。戦争に負けた日本は、この範囲を、疑ってはならない境界とみなすことになった。」”
ここらの感度が、たいへんに橋爪さんらしいところだ、そのようにわたしは思うが、いかがだろうか。とくに、日本国憲法を持ち出すところなど、ニクイ。敗戦や戦後処理の問題に発言する知識人たちの「法感覚」の鈍さは、つとに橋爪さんの指摘するところである。逆に言うならば、つねに日本国憲法を念頭において考えようとする橋爪さんの姿勢を髣髴とさせる。そしてまた、敗戦がもたらした「亀裂」(加藤典洋さんふうにいえば、ねじれ)の深さをさりげなく示され、つい、はっとさせられる。
●またさらに、
“「敗戦を境に、台湾と朝鮮半島は、日本から独立した。独立後のあり方が不透明なままの見切り発車だった。人びとはそのため、独立と政治的自由をかけて、茨の道を歩むことになる。ことに北朝鮮は、今なお厳しい困難のまっただなかにある。」”(略)。
“「核開発を進め、ノドン・テポドンを打ち上げ、ハリネズミのような臨戦態勢をとっている北朝鮮。ミサイルの一、二発も飛んでくるのかもしれない。とんだ迷惑だが、もとはと言えば、かつての『同胞』が、半世紀あまり、独自の道を歩んだ結果だ。もうひとつの『戦後日本』が、そこにある。」”
わたしはここで唸った。う〜ん。北朝鮮を「もうひとつの『戦後日本』」とするこの着想。わたしなどの「直感」とは、訳が違う、ものがちがう。やはり橋爪さんは、テリー伊藤ではなかった。東北を、「もうひとつの日本の立ち上げ」などと言あげして悦に入っている学者先生のお気楽さなど(しつこいね、わたしも)、ここには微塵もない。いや橋爪さんは、仏教を、確証し得ない「悟り」を訊ね合う言語ゲームとして読み解こうと発想したほどの人なのだ。いまさら驚くには値しないのかもしれない。
しかし、いったいこれまで、だれがそんなふうに北朝鮮を考えただろう。橋爪さんが言うように「日本では、北朝鮮のことをだれも真剣に、科学的に、責任をもって考えていない」のであり、それは「戦後日本の底の浅さ」だったのだ。わたしにも、ただただ不気味で、異物のようにしか思えなかった。「戦後日本の底の浅さ」、つまりこのわたしの「底の浅さ」であり、あなたの「底の浅さ」だということだ。これこそ歴史への感度の鈍さである。橋爪さんならば、もうひとつ、法に対する鈍感さを付け加えるだろうか。
●そして末尾。
“「中国や韓国などアジアの人びとが、なぜ歴史を蒸し返し、いつまでたっても日本を許さないのか。それは、日本がかつて働いたかずかずの悪業のせいだが、それ以上に、日本人がいまなお傲慢さにどっぷり漬かっているからだ。福沢諭吉は「脱亜入欧」=遅れたアジアといっしょにされては迷惑だ、とのべた。戦後日本はアジアの存在を切り捨てた。もともとアジアの中心は中国で、韓国、そして日本の順番だった。日本は忘恩の国なのだ。成長をとげたアジアの国々と日本は、対等なパートナーを築くべきだが、簡単ではない。”
日本にとってその第一歩が『こんなに困った北朝鮮』の実態を理解することではないのか。『かわいそうな隣国』の話ではない。戦後日本が、つぎの時代に脱皮するための、発想の転換ができるかどうかの正念場なのである。」
と、締めくくられる。つまり、「正念場」を「正念場」とするために差し出されたものが、『こんなに困った北朝鮮』だったということになる。本の作りもタイトルも、つい「テリー伊藤」を思わせるものになってはいるが、橋爪さんは、本気だったのである。この記事を読んで、慌てて本屋に買いに走ったわたしは、橋爪さんの本気ぶりが、よーく分かった。
さて本書へのわたしの感想を書かせていただくなら、この本を貫いているのは、「当事者性」ということばで言い表されるかと思う。他人事ではなく、まさに「我がこと」として、北朝鮮が語られている。「我がこと」のようにとは、危機意識の強さ、現実の事態の引き受け、ことに立ち向かおうとする責任、と言ってもいい。それが橋爪さんの歴史感度であり、北朝鮮を「もうひとつの戦後日本」だと語ることの内実である。またそのことによって、この本は強く特徴付けられているのだと思う。
おそらく橋爪さん以上に膨大な情報や知識を網羅し、緻密な理論で分析した著作は、今後書かれうるかもしれない。マニアックな知識を有する若き秀才たちはいっぱいいるのだから。わたしはその手の仕事の意義を、すべて否定するものではない。しかし、さほど驚かなくなったし、ありがたいとも思わなくなった。いま、わたしにとって重要なのは、いや、わたしばかりではなく、本当に読まれなくてはならないのは、そのテーマに、著者がどれだけの「当事者性」をこめて臨んでいるのか、それを感じさせてくれる著作なのではないだろうか。危機意識もなければ当事者性もない、凄んでは見せるが責任は取らない、知識と情報はやたらひけらかす、そんな「おしゃべり」が多すぎるのだ。
いいかげんにしろ!、と言われるのを覚悟で三度書くが、「もうひとつの日本」とやらを立ち上げて、それでどうするのだと聞きたいのは、ここである。東北の歴史や民俗の掘り起こし、大いに結構である。しかし明治初頭、熊本のある自由民権論者が「白河以北ひと山百文」とほざいたその一言の方が、わたしには東北学などより、はるかに重要である。そのことに思いの至らない東北の歴史など、単なる情報の集積に過ぎない。
橋爪さんは、そうではなかった。いま、いかに強い危機意識をもって、この日本という国に臨んでいるか。「こんなに困った北朝鮮」とは、「こんなに困ったわがニッポン」ということでもあったのだ。
●さて、これで終わるならば大団円。
しかし、これだけで話は終わらないのである。終わらないのが橋爪大三郎である。
橋爪さんの言う「正念場」とは、何の「正念場」であったか。「つぎの時代に脱皮するための、発想の転換ができるかどうかの正念場」であった。
「発想の転換」ができるかどうか。いま、わたしたちが立ち会っている時代の核心は、これである。国内の問題はもちろん、アメリカを襲ったテロ以降の、世界情勢とやらの問題もまた、このことが問われてくるだろう。まさに正念場である。ならば、正念場に臨んで、橋爪さんご自身は、「発想の転換」を、どんなかたちで示してくれているのだろうか。
『こんなに困った北朝鮮』において、北朝鮮をよく理解し、アジアの国々との、対等なパートナーの関係を築くべきだと力説された。北朝鮮という着眼に、まず「発想の転換」を見ることができるが、わたしが言いたいのはそのことではない。
橋爪さんは、加藤さん、竹田青嗣さんとの鼎談集、『天皇の戦争責任』において、「天皇に戦争責任はない」と主張され、また首相の靖国参拝をめぐっても、「は憲法上の問題は、とくにない」と、断じられた(「諸君!」10月号「首相参拝は合憲である」)。これまでの発想ならば、(1)アジアの国々との、対等なパートナーの関係を築くべきだ、という主張は、(2)天皇の戦争責任を詫び、首相の靖国参拝などもってのほかだ、と接続されるはずであった。橋爪さんの、(3)天皇に戦争責任はない、靖国参拝も(憲法上とは言え)問題はない、というこうした発言こそ、アジア諸国から、傲慢と受け取られ、猛反発を招くところの当のものであったはずである。
(1)から(2)ではなく、(1)から(3)へ。おそらくここに、橋爪さんの「発想の転換」の端的な現われがある。このことをどう理解するか。それは、橋爪大三郎という表現者を理解するうえで、たいへんに重要である。そのようにわたしは思うが、いかがだろうか。
●さて、わたしの第一回目の紹介は、ここで終える。ここまでお付き合いくださった方は、なんじゃ! と思われるかもしれない。時間を経て後、またこのコーナーをのぞいていただければ幸いである。そしてもしどなたか、論じてくださるならば、ぜひ掲示板を使ってご参加いただきたい。ここがどうつながるか。それを解くことは、あなたやわたしが「次の時代に脱皮するための、発想の転換」にとって、あるいはひとつの試金石かもしれないのだから。
